【鮮やかで瑞々しく】


父の持っている写真が昔から嫌いだった。
いつも机の一番上の引き出しにそっとしまってある写真だ。
そこには木に登った綺麗な女の人が写っている。
歳は多分十七、八くらい。
セミロングの黒髪に、キツネっぽい綺麗な目。
すっとした鼻。ニッと笑って、歯並びがいい。
服装は、木に登るくらいだから活発なのか、
色つきのTシャツと、裾をまくったジーパン。
白黒写真だからシャツが何色かは知らない。
登っているのはうちの庭にある白木蓮だ。
少し高いところの枝に長い足をかけて、
左手を腰に当てて、胸を張り、右手は高く空に舞っている。
写真部だった父は、少し下から見上げるようにして彼女を撮った。
使ったカメラは多分、今でも大事にしているライカ。

私の母親でないその人の、まっすぐなカメラ目線が本当にムカムカした。
恋もろくに知らない小学生の頃からすでに、
たまに引き出しを開いて写真を眺める父の姿が許せなかった。
母に文句を言うと、母は、いいのよ、ほっといてあげなさいと笑った。
それでも我慢できなかった中学二年のある日、
お母さんいるのに、なんでそんなもの持ってるのと
本気で問いただしてやったことがある。
父は素直で、まずいものを見られたという顔をした。
でもすぐに、またなにか懐かしんでるような顔になった。
娘が怒ってるのに、それでも写真のそいつに意識がいくのか!
最低だと父を罵り、部屋を飛び出した。
許す母もバカだと思った。優しいけど、優しすぎてバカ。

そうでもないと分かったのは大学三年になってからだ。
写真のせいで若干男嫌いだった私にも、ようやく恋人ができた頃。
母に彼氏のことを聞かれて、調子に乗って答えた。
真面目で誠実でいい彼だよ。
お母さんはちょっと残念だったね、昔の女を引きずる浮気性のお父さんで。
すると母は言った。
お母さんは、お父さんと男と女として一緒に生きる権利を
あの写真の人から勝ち取ったのよ。
たまにああして会うくらい、勝者の余裕で許してやらないとね。
母が強い女だったと初めて知った。
そして、あの写真の人が父の幼馴染で、もうこの世にいないことも知った。

その日の夜遅く、私は飲み会帰りの父に、
昔写真のことで酷いこと言ってごめんと謝った。
父は、そんなことあったっけ?ととぼけた。
私はいつも通りの父に笑いながら、
でもやっぱりひどいよ。愛娘が怒鳴ってるのに、
それでも写真見て懐かしんでるんだからさ。
すると父が言った。
ああ、あれな。あれはなあ、写真を見たんじゃなくて、
怒鳴るお前の顔が、母さんの若い頃とそっくりでなあ。
つきあいはじめの母さんにも、そうやって怒られたことがあるんだよ。
父はまた懐かしそうに笑って、私は驚いて少し泣いた。

母が亡くなったのはそれから六年後のことだ。
そのとき私は結婚していて、娘がいた。
孫の顔が見られてよかったと、最後に母は言った。
父は長く勤めた会社を定年退職したばかりで、
これから二人の老後が始まるところだった。

仕事と母を同時に失い、
家から出る用事も話す相手もいなくなった父は、急速に衰えた。
記憶と現在がごっちゃになっていき、
初孫である私の娘を、私の名前で呼ぶことが多くなった。
60余年過ごした家まで忘れて迷子になったこともある。
父にもある程度自分の状態が自覚できているようで、
なんだか色々忘れてしまってなあ、
とつぶやいて苦笑いしていた。それがまた辛かった。
それでも母が亡くなったことだけは覚えていて、
毎朝毎晩、かならず仏壇を拝んだ。
そのときの表情はいつも柔らかだった。
けれどやがて、素人介護では立ち行かなくなり、
施設を探すことを夫と決断し、父に話をした。
真夏の夜だった。
父は、それがいいかもなあ、なあ母さん。と私に向かって言った。
そうだねお父さん、と私は答えた。
父は、毎朝毎晩仏壇を拝みつつ、私を母さんと呼んだり、
母さんは今日は外出だっけ、と聞いたりするようになっていた。

入所の前日、父の荷物を整理した。
本当は私がメインでやるはずだったのだけど、
さすが、綺麗好きの父は、私が部屋に行ったときには
しっかり片付けを終え、部屋の脇にある縁側に腰掛けていた。
こんな掃除好きの人が来たら施設の人たち喜ぶんじゃないかな、
そんなことを考えながらゴミ箱の中身を袋に移し替えようとして、
あの写真が入っているのに気づき、手が止まった。

写真を取り出して、じっと見つめる。
しばらく忘れていたこの写真。
小学生の頃、理由も分からず嫌いだった。
中学生の頃、父にも母にも怒鳴ってやった。
大学生になって、母の強さを知った。
そして父の過去と、今の想いも知った。

少し悩んだけど、思い切って聞いた。
お父さん、この写真、捨てちゃっていいの?
父は、ん?と振り返り、私の右手がにぎる白黒写真をぼんやり見つめて、
ああ、それ。
そして少し首をかしげながら、
誰だったかな、なんだか忘れてしまってなあ、と言った。
私は一瞬どきっとした。忘れたって。
父の表情からそれが冗談でないことに気付いた私は、
全身の筋肉が固まって、胸から頭までがかっとなった。
ふざけるな。
写真を持って父の隣に座る。

お父さんこの人が誰だか忘れちゃったの?
じゃあ教えてあげる。この人はね、トウコさんだよ。
私がそう言うと、父は、ああ、うん。そうだったなあ。と言った。
しかし、こんな写真があったんだなあ。とも言った。
私は続ける。
これはお父さんが自分で撮ったんだよ。
そして今まで大事に取ってあったの。
ほら見て、これ、あそこの白木蓮の木でしょ。
高校生の夏休み、あの木に登ったトウコさんを、
お父さんがライカで撮ったんだよ。
そうだそうだ。
あいつ、貧血持ちのくせに木登りが好きでなあ。
“木に登る”で“橙子”なんでしょ?
そうなんだよ。あいつの親父さんは、
“だいだいみたいに鮮やかで瑞々しい子に”と願ってつけたのになあ。
鮮やかで瑞々しいっていうのも、
当たってるからいいじゃない。
まあ、うん。まあなあ。

私はあの晩、母から聞かされた橙子さんの話を父に言って聞かせた。
母は、自分が写真のことを気にして落ち込んでいたら
父が申し訳なさそうに教えてくれたと言っていたが、
父は、母が、この女はなんなんだとすごい剣幕で迫ってくるものだから、
戦々恐々しながら被告人の気分で話したと言っていた。

それからの父は、私がフォローする必要もなく、
橙子さんとの思い出を語り続けた。
同い年で、向こうが一日早く生まれたこと。
川向かいの家に住んでいたこと。
小学生の頃、一緒に白木蓮の木に登って橙子さんだけ
落ちてしまい、右耳に傷が残ったこと。
向こうの親は、責任取って嫁にもらえと笑っていたこと、
自分の親にはこっぴどく叱られたこと。
それ以来、自分だけ木の下で待つようになったこと。
中学卒業と同時に付き合うようになったこと。
しばらく橙子さんが入退院を繰り返した時期があったこと。
高校二年の夏休み、橙子さんが引っ越すことになり、別れ話をされたこと。
食い下がったけどつっぱねられたこと。
引っ越す前日、橙子さんが家にやってきて、久しぶりにと木に登ったこと。
一番上を目指す途中、ちょうどいい枝にセミが止まっていて、
セミが苦手な橙子さんは泣く泣くそれ以上登るのをあきらめたこと。
そこで写真に収めたこと。
引っ越した後は、遠方で会うことができなかったこと。
そして五、六年後に亡くなったと連絡が入ったこと。

その頃にはもう、お母さんと付き合ってたんだよね?
うん。それで、葬式には行ったんだ。そしたらあいつ、
綺麗な化粧してもらってるのに、耳の傷がしっかり残っててなあ。
死ぬ前に、これは消さないでいいから、って言ったらしいんだ。
それは母から聞いていない。
そもそも父から聞かされていないのか、
それとも母が私に黙っていたのか。
そんなことを考えていると、
なんというかなあ。母さんもこんなに早く逝っちゃったし、
悲しいことが多いけど、でも、父さんはいい女性ばかりに巡りあえたと思うよ。
お父さんって、純情なくせに女たらしな台詞吐くんだね。
今でも娘と孫娘に恵まれてるから、幸せだよ。

日が暮れ始めていた。
川向かいの住宅地方向に夕日が沈んでいくのが見える。
庭木を短く刈り込んだおかげで、
夕日と縁側をさえぎるものは、白木蓮くらいのものだった。
青々と生い茂った緑の葉がさわさわと揺れ、
そのたびこぼれ出す光が父をいたずらに照らす。
眩しそうに白木蓮を見上げる父に、私は写真を手渡し、
その写真、絶対捨てちゃ駄目だからね!と言った。
いいのかなあ。などと呆れたことをぼやくので、
捨てたら、捨てたらお母さん、絶対怒るよ。と言うと、
そうだなあ。そうかもなあ。父は懐かしそうに笑った。


おしまい


 




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