【春の門】


夜、男が自宅へ戻っていると、
路地の真ん中に、ドアが立ちふさがっていた。
非常に一般的な形状のドアだったので、脇に周りこむ余地があり、
裏に暴漢でも隠れていない限り、帰路の障害にはならなさそうである。
しかし、男はやり過ごすことをためらった。
開けてみたいのだ。

曇り空で外灯も無い闇夜の路地だったが、
不思議なことに、ドアの姿ははっきりと捉えることができた。
ふと、自分のアパートのドアに似ているな?と思ったが、
それはつまり、非常に一般的な形状のドアということである。
開けたら、どうなるのだろう?
男の好奇心が、不信感などのようなものをあっさりと打ち消したのは、
ちょうど男が、夜桜見物の帰りだったからだ。
腹の酒虫はたんまりと太っていたし、季節は春だったのである。

さて。
男はまれに見る怪現象を前に、しばらく考えた。
このドアは誰が置いて行ったのか。春に浮ついた福の神が落としてしまったか?
何より、ドアを開いた先は、一体全体どこへ通じているのか?
南の島か?雲の上か?宇宙服はいるか?時代を超えることはあるか?
それとも女湯に飛び込むか、あるいはとびきりの美人が待つ一級ホテルだろうか?
長い間独り身で生活してきた男にとって、ドアは甘美な未来の象徴にも思えた。

いや待て。開けても案外、どこにも通じないかもしれない。
役割を持たない純粋な扉を「無用門」と呼び、芸術視する学問があるらしい。
しかしこのドア、いくらなんでもさすがに何か意図があるだろう。
それはたとえば、開いた途端に上から金タライが降ってきたり、
上に注意していたら、マンホールの蓋が開いていたりというような。
今もそこかしこの物陰で、笑劇を今か今かと
声を潜めて待ち望んでいる輩がいるのではないか?

大怪我をしてはたまらないので、
一応、裏側の安全性を確認しておこうかとも考えたが、それをやっては興ざめだ。
対して、やはり女人が現れたときのために
ハンカチくらいはたしなみとして持っておくべきだろうかと思い、
ズボンの後ろポケットに突っ込んでいた手ぬぐいを取り出し、綺麗にたたみ直した。
この場における、出来る限りの身構えと心構えをしておく必要があるだろう。
ドアとはおそらく、自身の準備の程を試す概念的な存在である。

ここで男は、自分の中の「ドアを開けた未来に関する予想」のどれもが、
小説や映画や漫画やお笑い番組などによってもたらされたものだということに気づいた。
他人の空想という、自身の現実とは極めて距離のある場所から拝借したアイディアだったのだ。
真の未知なるドアというものは、その先に、
もっとこれ以上の現実体験が待ち受けているのではないだろうか?
しまった。そうとなるともはや、知恵の枯渇した自分に出来る準備などありはしないではないか。
一体このドアは、象徴か、概念か?しかして実在する無用門か?
男は、ドアに対するどの言葉も借り物に過ぎないように感じ、
ドアを開いた先に、闇しか待っていないような不安を覚えた。

しかし、まあ、安心する言い方をするなら、何も気にせずただ開けるだけで良い、という話でもある。
降りかかる幸も不幸も、稀有な発見となるであろう。
なあに、さっきは闇だの何だのと思ってみたが、すぐに死ぬようなことない。
なぜなら、こういう場での死は、普遍的に、最高の興ざめを意味するからだ。
設置主も、よもやそればかりはしないだろう。

男は考えるのを止め、パっとノブに手をかけた。
一瞬、電流でも流れやしないかと恐怖したが、
そんな拍子抜けの罠などなく、ただの冷たさがあるだけだった。

男は鼓動の早さに迫られて、そのまま思い切ってノブを捻り、勢い任せに引こうとした。
しかしドアは開かなかった。
何度か捻り直してみるが、結果は同じだった。
ドアには鍵がかかっていたのである。
男の顔に、少なからず驚きと不安が見えた。

まあ待て。落ち着け。何もこちらから開けるだけがドアではない。
向こうから開けてもらえるならば、それもドアである。
なるほど、先客がいたとは失礼した。
男は手ぬぐいで額を一拭きすると、襟を正し、ドアを軽くノックした。
しかし返事が無い。
今度は強めにノックをしたが、やはり返事は無い。
大声で呼びつけてみようかとも思ったが、近隣に悟られ、
ドアと自分の存在が確認されるのは避けたいと思い、止めた。
しかしこれでは埒が明かない。
しばらく耳をそばだててみたが、生き物の動く気配は感じられなかった。
いよいよ、ドアの向こうは無人であった。


参った!まさか、開かずの扉が道路に現れるとは!
これでは、好奇心と期待感を煽るだけ煽った上での、生殺しだ。
男は地団駄を踏んだ。
まったく無駄骨。意味不明。
ついに男は、その場にへたり込んでしまった。

すると、ふいに上着のポケットから、軽い金属音がした。
どうやら鍵だった。

いぶかしげにポケットから取り出してみると、
それは紛れもなく鍵だったが、
驚くことはない、男のアパートの鍵であった。
幾らなんでもこれでは開くまい。
とは思うものの、男は立ち上がり、苦笑を交えながら鍵穴に差し込んでみた。
すると小気味の良い音がし、ドアは開いた。

驚いた男は、息を呑んでドアの先を見つめたが、暗くて先が良く見えない。
もう少し奥が見たいと思い一歩踏み出したとき、
足元にあった何かに蹴つまずき、男はそのまま体ごと、ドアの奥に入り込んでしまった。
しまった。どっと心臓が高鳴り、不安感が募る。
しかし、覚えのある家庭ゴミの臭いがちらついているのが分かると、
逆に強い安堵感に満たされてもいき、男は非常に混乱した。

つまずきよろめいた際、男は真横の壁に手をついたが、
触り心地に覚えのあるそれはどうやら、男の部屋の壁紙と同じ材質らしかった。
まさかと思いそのまま壁に手を這わせると、スイッチと思われる凹凸があり、
押してみるとやはりスイッチで、暗闇は一瞬にして男の部屋となった。
足元には、脱ぎっぱなしの長靴が倒れている。
自分の部屋のような気はしていたが、
気がした以上にあまりにも自分の部屋だったせいで、男はしばらく呆然とした。

振り返ると、ドアはすっかり閉まっている。
開けるといつもの廊下が現れ、閉めるといつものドアであった。

「酔っ払って、部屋の前で幻覚を見ていたのか。なんて馬鹿馬鹿しい話だ」

まったく夢が無い。
男はひどくがっかりして、そのまま布団に倒れこんでしまった。


「どういうことだ。酒臭い男が寝てるだけとは。
てっきり天国みたいなところにつながってるもんだと思ったのに。
しかしなんと、無用心な家主だな。部屋の入り口を路上に設けるなんて。
春だからと言って、気が緩みすぎじゃあないか」

男の部屋に、1人目の見知らぬ酔っ払いが訪れたのは、それから数分後のことである。
そして、そのまま残念な男たちの2次会が始まるまでにも、
たいした時間を要さなかったということだ。



 




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