「俺は、わかったぞ。
今年で22になる友人が屋上で夕陽に向かいそう叫んだのを目の当たりにしたときには、さしもの俺も、あぁ人類の歴史はこれで終わりなのかなと感じたものだった。
「うちのアパートだからさ。ほら、迷惑するの俺だからさ。やめて。」 「エロスの何が悪い。何だ、お前、タナトス派か。」 「タナトス派って何だ。エロスは悪くない。多分お前が悪い。」 「は、何だ怖くなったのかお前。ゲバラれるぞ。護身用にヘルメットかぶっとけよ。」 「わかった。わかったから。ちょっと落ち着け。」 「落ち着けって。平和も独立も民主主義も存在しないこの現代日本のどこに落ち着けっていうんだ。」 「もういいから。お前。とりあえず部屋に来い。」
友人は69年の学生闘争を題材にした純文学作品に感化されて以来おかしくなってしまった。「不純で不埒な現代のノンポリ学生たちよ、あの熱を思い出せ。青春とは猛烈な実体である。」とは、先日友人が学生自治会室を乗っ取って全校に放送した歴史的名言だ。相当数の学生が全く理解できなかったその言葉に真摯に耳を傾けたのは、イラク戦争反対と学費値上げ反対の立て看板を作成していた民主教育研究会の部長と、友人が何のために自治会室を使用するのかよく確かめもしないまま、自治会委員の知り合いに部屋のカギを貸りてきた俺くらいのものだったと思う。
不幸だったのは犯人と勘違いされた民教研の部長だ。「本人あるいは仲間の犯行」としてサークル活動の無期限自粛を命じられてしまい、それに反発して自治会および学校事務を相手に徹底闘争の構えをとったわけだが、おかげで他学生から「前から怪しい団体だったけどいよいよ本格的にやばそうだ。」という認識をもたれてしまい、噂に尾ひれ背ひれついた挙句、バイト先の恋人にフラれてしまったそうだ。トップが意気消沈してしまった民教研は、今まさに消滅の危機に瀕している。 「女にフラれたくらいで何だ。軟弱なやつめ。あいつがリーダーになってから、タテカンのサイズが一回り小さくなったの知ってるか。学校側からいいように操作されてやがる。あんな偽者の民主主義者にリーダーを任せて、民教研の連中は何を考えてるんだ。」 部屋に戻り、俺が今日のことを怒鳴りつける前にさし当たって前回の不祥事について触れた途端、友人が民教研部長批判を雄弁に語りだした。 「まぁ…とりあえず、お前が悪い。」 「俺は悪くない。悪いのは徹底的討論の姿勢を貫き通せなくなったリーダーだ。あんな自治闘争に及び腰な人間、自己批判してもし足りんものがある。」 「いや、お前が名乗り出なかったのが悪いでしょ。それ以前に、お前が急にあんなことするのが悪い。今日にしてもそうだ。急にエロスとか胸張って叫ぶな。下の店の客がこっち見てただろ。」 友人はベッドの上で立ち上がり「お前とはいつの間にか思想的に対立してしまったようだな。ここでやるか。民主的討論を。」などと踏ん反り返りながら言い始めたので、「お前さぁ…」と溜息をつきながら、俺はお湯を沸かせに台所へ行った。
「何でそんなにバカになったの。」 正直なところをぶつけてみた。 「バカなのはお前の方だ。あれを読んで何も感じなかったのか。」 「いや、確かにあの本は面白かったよ。昔の学生が社会に対して熱心だったのもよくわかったし、結構楽しそうにも見えたよ。けどさぁ、あれそのまんま今もやるのは無理でしょ。」 「無理なもんか。現に今俺は闘争に燃えてる。今の学生が社会的無関心なのは、全部政府が骨抜きの機械的労働者を量産しようと詰め込み教育ばかり行ってきた結果だ。俺はあの本を読んで、勉強した。その結果が」 「前回の不祥事と今日の変態行為。」 俺は友人の主張を遮った。長く語られそうだったからだ。 「学生闘争ったって、もうすっかりなくなったわけじゃん。それに俺思うけど、お前のはそれ、正しい学生闘争じゃないんじゃないの。」 「現状は政府の汚い反動的策動に貶められた結果だ。わざと暴力的な学生を出現させて、それを口実に自治圏たる大学に警察を介入させてきた。民主的討論を求めた学生たちの要求を踏みにじったわけだ。俺はそんな反動勢力には屈しない。」 「暴力的な学生って…それ、お前が騒いだせいで民教研が潰れそうなのとあんま変わんなくないか。いや、絶対そうだ。お前だ。お前が面白半分になんちゃって学生闘争をやってるのが、権力を介入させる口実になってる。」 「な、お前。俺が全共闘突撃世代と同じとでも言うのか。いくらお前でも許さんぞ。粛清してやる。」 友人が意味不明な事を言いながら怒り出したが、俺はそれに臆することなく畳み掛けた。 「つーかさ、そもそもあの本の主人公はさ。闘争がしたかったわけじゃなくて、好きな女の子に興味持って欲しかったから、当時『流行ってた』闘争に手出したわけじゃん。」 「正しいことをやっていたから興味を持てたんだ。」 「そこが問題なんじゃなくて。闘争の動機が不純じゃないかってこと。」 ヤカンが高鳴る。お湯が沸いた。俺は戸棚からココアの袋とカップを2つ取り出し、台所へ向かった。
「不純じゃない。恋愛感情は純粋であり全てのエネルギーだ。知ってるか。青春は猛烈な実体だ。」 「じゃぁ何。お前は闘争して女子にモテたいの。」 俺は生産性の低い会話に半ばウンザリしながら、火を止め、ココアの袋にスプーンを突っ込み、多めに掬った粉末をカップに入れようとした。 「……。」 友人がなぜかどもる。聞き取れなかったのかと思い、俺はもう一度「学生闘争でモテたいの。」と聞いた。 「…うん。」 「おぉ。」手元が狂い、ココアの粉末が宙に舞う。床が茶色い粉雪で覆われた。 「ごめん。そう。」 友人は「バレちゃった。」と言い、ベッドに寝転んだ。1週間ぶりに元の笑顔を見せた友人の顔を、俺は呆然と見つめた。
「モテると思ってたの。」 「そう。」 悲しいかな、友人はバカだった。さしもの俺も、さすがにこれをフォローできるほど現代社会のキャパシティは広くないのではないかなと感じた。
「で…実際にはモテれたの。」 「それがね、フラれちゃった。」 「誰に。」 「Cクラスの。」 「あの…毎週木曜日にだけゴスロリの格好してくる、変だけど可愛いあの子。」 「そう。あと、英語で一緒だった。」 「百科事典みたいな厚さの辞書使ってた、村上龍研究会に入ってるあの子。」 「そう。」 「いつ。」 「Cクラスの子は放送かけたその日。村上研の子は、さっきここに来る前。」 「なんて告ったの。」 「二人とも、ガリ版でアジビラ風ラブレター書いて渡した。理解できないとか言われて。村上研の子なんて、『同志って呼ばないでください』って真顔で言われて…。」 「もしかして、それでエロスとか叫んだの。」 「そう。もうエロスしかないと思った。」 「くたばれ。」 この直後、俺はこれまでに溜まっていた鬱憤を全て友人にぶつけた。「これは民主的でない。まずは落ち着こう。」と俺の行為を非難する友人を掛け布団で覆い隠し、その上から近くにあったテニスラケットで叩き続けた。民教研部長の分も込めたつもりだ。ついでに就活でのストレスもぶつけた。
「だってさー。そもそも機会不平等だと思うわけ。何がって。就職とかさ、サークル活動とかよりもさ、男女の出会いが。政府がエリート育成教育でモテる組とモテない組と選別するもんだから、俺みたくモテない組はさ、色んな可能性を試して足掻かないといけないわけ。」 友人は、ココアに染まった床を拭きながらグチグチと語り続けた。最初からそう考えていたのか、例の本を読んで感化された結果行き着いたのかよくわからない屁理屈を、俺はベッドに仰向けに寝、天井を見上げながら聞き流した。 「学生闘争ねぇ…。」 友人に薦められて本を読んだ後、ちょうど世代だった父親に当時のことを聞いてみた。父親はノンポリだったと言った。ノンポリだからダメだと言うものではなく、それなりに「クール」なイメージがあったのだそうだ。聞いてもいないのに、当時の女子大生がどんな男を好んだのかまで教えてくれた。まぁ好みは人それぞれだったらしい。「真面目に社会と闘ってたように見えて、結局そういう話題に落ち着くんだな。」というのが感想だった。それが目の前の悲しい友人にもピタリと当てはまったという事実がまた悲しかった。 「さっきも言ったけどさぁ。『流行に乗る』っていうのが大事だと思うよ。あるいは、全く乗らないか。王道か、枠に収まらないか、みたいなさぁ。」 「全然枠に収まってないと思うけど。闘争。でもダメだった。」 「それは何か、常識的に間違ってる。」 「非常識なやつがモテるんじゃないの。」 「うーん。」 段々と、今の恋人と何とか上手く続けていられている俺には至極どうでもいい話に思えてきたので、考えるフリをしながら、天井に向かいまたため息をついた。今日何度目のため息だろうか。今週何度目の…。沸かされたままのお湯と俺のついたため息は、世界の湿度を少し上昇させたと思う。それはやがて露となって、無意味に火照った友人の心を少し癒せるかもしれない。もしかしたら雨となって、もっと多くの人のやり場のない熱気を静まらせることができるかもしれない。いや、余計に無気力になるだけだろうか。 「お前、今無気力か。」 「うん。実は結構凹んでる。」 「そっかぁ。」 もう少しため息を吐いてみることにする。 「何。一緒に落ち込んでくれんの。お前ってお人好しだよね。」 「…もう何か、よくわかんないや。現代人とか。学生とか。青春とか。」 「彼女いるんだからいいじゃん。」 「そこに落ち着いていいんですかね。俺は。」 「いいんじゃないの。お前と俺の唯一の違いだと思うよ。」 そこだけしか違わないと言われると大いに反論したかったが、反省して落ち込んでまでいる友人をそれ以上責め立てる気はしなかった。まぁ、確かにそこなのかもしれないとも思った。
目覚めた時、友人はもう部屋にいなかった。そのまま帰ったようだ。
【青春ゲバゲバ】 とマジックで書かれていた。 何じゃそりゃ。
ちなみに、友人が「社会への闘争は何も暴力やデモだけではない。」と言ってフォークソングの弾き語りを始め、50歳前後のおばちゃんたちから大いにモテるようになったのは、それからしばらく後のことだった。
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