------------------------------ 1.ケータイで ------------------------------ 『ダメよダメよと言われるほどやってみたくなる。いいわいいわよと言われるとなんだかかえって怪しく思える。それって、日本語が間違ってるってことじゃないのか?もっと意味と用途を明確に一致させるべきだろう。それとも言葉は意味を裏返したり比喩で隠したりして初めて正しく気持ちが伝わるものなのか?だとしたら、そんな遊び心に満ちたコミュニケーションツールを用いて公明正大厳密至極かつ発展的進歩的な議論なんてそもそもできるわけがない。そういうわけで民主的運営の期待できない会合に出席する必要性を感じないので本日は欠席させていただきます』 という欠席メールを頑張って打って部長に送ったら、 『屁理屈はいいからはよ来い』
『いまどき屁はないでしょ。下品ですよ』
『というわけで、今から部内恋愛のあり方について議論してきます』
「おじゃますよー」
「俺だって来たくなかったよ」
「やめろよお前ら。いきなりケンカすんな」
「それが原因だったんですよ!」 さっそく言ってやった。先手必勝。
「…そこで、【マコ】が?」 「“他の女の子たち、なんだか分からないけど、冷たいですよね。ひどいと思います。アタシは先輩の味方ですから!”と」 俺の右手を握ってくれたわけです。 「信じらんない!」 ここで千佳子が怒鳴った。良かった、とりあえずここまで言えたのは上出来だ。千佳子の性格とそれが問題を起こし得る可能性について、今この姿と俺の証言によって改めて裁判官の心証に残った。そして俺は悪くない。悪いとしても1:9、多めに見て2:8だ。 「そもそもアンタに問題があったんでしょ!あの子とのことだって、その延長!必然!」 「はぁ、何それ?」 十分過ぎるほどケンカ腰な俺らを見て、部長が焦る。 「待った、待った!じゃぁそもそも、千佳子はコイツのどこが不満だったの?」 そんなこと、実は分かってる。分からないけど、分かってる。「構ってくれなくて寂しかった」だろ?その単純だが理解できない女の精神構造を、俺は我慢しきれなくなったのだ。 女ってのは結局のところ、何言ってもやっても会ってもあげても、満足しない生き物だ。昨日1回好きと言ったなら、今日は2回愛してると言わなければならない。常に現状に不満を持て余しているのが女であって、男が真摯に解消し続けなければ関係は破綻する。恒常的に増大していく貪欲さが生み出す圧倒的な強制と束縛。それだろ?でもそれ、部長も理解できないぜ?言ったら仕舞いだ。ほら、言ってしまえ! 「だんだん構ってくれなくなって、それが寂しくて…」 ほら来た!ほらね! 「構ってくれなくなったって、たとえばどんな?」 優しく冷静な部長。できるだけ落ち着かせて、必要な情報を根こそぎ引っ張り挙げようとする。趣味は磯釣り。まぁそれはともかく。さぁ話せ!話せば話すほど部長は呆れていく!食いついた針は抜けんよ! 「さっき、話したじゃないですか…」 「あ、そうか。それでさっきのだよね」 おや? 「いや、お前が来る前に、千佳子から付き合ってるときのこと…て、ごめん、まだ付き合ってるよな。ここ2ヶ月くらいのお前のこと、聞いてたんだよ。不満も結構含まれてた」 しまった、そういえば千佳子、泣いた後があった。泣く泣く何かを話してたのか。やられた。先手心証付けはすでにされていたのか。いや?それはむしろ好都合? 「どんな話でした?」 月に1度の記念日を忘れるなんて最悪。ってやつ?
「…お前から“晩飯作っといて”って頼んで、帰ってから“やっぱ食べてきたわ”って彼女の作った料理手つけずにそのまま寝てたって聞いたけど?それも最近何度も」 あ…それか。それはコンビニのバイトが他の人の都合で遅くなって、遅くなったときだけ弁当の廃棄がもらえるもんで。でももらえないこともあるし。 「いや、それはよくないだろ。連絡したげろよ」 「バイト中ですよ。できませんよ。それに、ちゃんと食べてますよ。朝に」 食べなかったなんて言われるのは心外だ。「昨日は悪かったね」つって、ちゃんと次の日食べてる。冷めてても。調理に失敗してても。文句なんて言わない。どうだよ! 「アタシは、ずっと帰り待ってたんだよ!一緒に食べたくてさぁ…!」 「なんだよ、じゃぁそうやって言えよ。ドライブしたら“もっと遠いとこ連れてけ最悪”とか、プリン買って帰ったら“安モンばっか買ってくんな最悪”とか、いっつも適当に目星つけちゃ最悪最悪言ってるくせに。なんでそれだけ黙っといて不満にしてんだよ」 「だって!疲れてるの分かってたから…」 はいはい。作らせた。けど食わなかった。けど次の日謝って食った。これが俺。 一緒に食べたくて(勝手に)我慢して待ってた。けど食べれなくてその不満を俺に言わず(他の不満は何の躊躇もなく言うくせにこれだけ)(勝手に)溜め込んでた。これが千佳子。そして決め台詞。 「察して欲しかったの…」 結局のところ、他の数ある不満となんら変わりない。今回もまた、その中のひとつが爆発しただけだ。こういうのが連なって、さすがの俺も疲れたわけ。
「お前の態度の悪さ、部長に一から話したっていいんだけどさ…とりあえずもう1回言っとくけど、約束破ったんだからな、お前。それがどれだけ…いくら気持ちが盛り下がってきてても、“きっとまたこれからいいことあるだろ”と思って関係続けてきた俺の心を打ち砕いたか、分かってんだろうな」 「それは…だって…」 「だってじゃねぇよ。俺はお前の期待に応えようと思った。けどお前は応え切れてないと判断した。そこまではまだいい。2人の問題だ。けどお前は約束を破って、勝手に広めて、部の問題に拡大した。しかも自分に有利なように」 実は、冷め始めた気持ちは正直もうずい分前から挽回不能なレベルに達していて、もうさっさと別れるべきだという結論まで出していたのだが、それは言わない。言ったら「約束を盾に誰にもバレないまま自然消滅を狙った」とか、俺にとって非常に不幸な結論を部長が誤って出してしまう可能性を残してしまうからだ。それに、2年女子のあの目は真剣にトラウマものだった。あれを生み出したのが千佳子の裏切りなのだとすれば、やはりそれは罰してしかるべきだ。 「…だって…だって…」 再び泣きそうな千佳子。同情はしない。もし同情するとしたら、それは何かの拍子に壁にかかった高そうな釣竿を折られてしまった場合の、部長に対してだ。 「うーん…」 部長が頭を抱えている。なんで?俺の中では十分過ぎるほどに勝敗はついていた。あとは判決、というか示談の方法だ。一体どの部分が引っかかるんだろうか。部長の頭は、ちゃんと示談の方法を1:9で考えるところまで来てくれていますか?まさかまだ千佳子の方が可哀想とか、そんな段階で詰まったりしてないですよね?頼みますよ!俺としては千佳子を先頭に2年女子全員からの謝罪をもらいたいところですが、それが極めて難しいことは分かってます。だから2年女子は誤解を解ければもう結構、ただし千佳子とは彼女の謝罪をもってきっちり別れさせていただきたい! 「まぁ、大体分かったよ。お互い気持ちの行き違いがあったみたいだけど、なんだ、大切にしてた部分がズレてたっていうのか?千佳子は、たぶん、本当は不安もあったんだけど、でもどうしても気が許せちゃって、ついつい普段は不満をたくさんぶつけてた。でもバイトがんばってるコイツを手料理で迎えてあげる?みたいなシチュエーション?じゃ、受け止めてあげたい優しさと受け入れられるかわかんない不安とが強く出ちゃって、むげにされても強く言い出せなかった。それが特に不満につながって、思わず相談しちゃったって、言うような?」 誰かに確認しながら話をまとめる部長。千佳子が首を縦に振ればいいのか?俺が横に振ればいいのか?よくわからんが、部長はがんばっていた。 「で、コイツはコイツで普段の千佳子の不満に不満を持ちながらも受け入れてて、それがひとつの自負というか、付き合ってる証というか、男の強さというか、そう感じてた。それがひとつ、コイツの中でルールだったんだ。そういうルールを自分に課すことで、千佳子を満足させてあげられてるんじゃないかなと。だから、ルール違反をした千佳子が許せなかった。あと常に不満は言ってくれるものって考えちゃってたから、“察する”なんてことはあんまり考えてなかった」 すごい、部長。そしてすごい、俺。部長の中の俺、何一つ悪くなさそうだ。いや実際そうなんだけど。 「不満を言うのは性格で、コイツもそれは受け入れてたとして、ということはもう少し千佳子が素直だったら良かったのかな、とか、思ってみるんだけど…」 と、雌雄決するかと思われたそのときだ。 「…【マコ】」 千佳子がその単語をつぶやいて、そのまま流れるように俺を睨んだ。 「じゃぁ、【マコ】は許されるっていうの?無関係な話だっていうの?」 「あ、そのことなんだけど」 部長が何か言いかけたが、俺が遮る。 「あの子が何だってんだ?俺、お前に言ったよな?“別れよう”って。あの子と付き合いだしたのはその後。俺はちゃんと手順踏んだよ。約束破ったお前に対して、きちんと最後までな。近づいてきたのも向こうからだし。…てか、そもそもそのきっかけ作ったのはお前じゃないか。お前にあの子のことで何か言われる筋合いは全くないね!」 「アタシはまだ、別れたとは思ってない!」 「あぁそうだろうさ。だから部長にこんな場まで設けさせたんだろ?でも実際もう終わってんだよ!本当は来る必要すらないんだ。俺はお前に謝ってもらいたい、それだけでここに来たんだよ」 「知ってるんだから!【マコ】と何回もあそびに行ってたの!約束破ってる!」 「あぁ行ったよ。でもさっきも言ったろ。当時は正式に付き合ってたわけじゃないし、俺があの子と会うようになったのはお前のせいだ!俺を心配して慰めてくれたから、俺も心許して、お前のこと愚痴ってたんだよ!」 ただし、「正式に付き合う」という行為が何のどこからでどんな契約行為なのか曖昧なのがポイントだ。どういうことかと言えば、下品な言い方をすれば、とどのつまり、別れよう発言の前に、すでに俺はあの子と寝ている。それはバレてはいけない。と思ったら、 「嘘よ…アタシ…車の中でキスしてるの…見てるんだから……」 !! 「元に戻れれば…許すし…言うつもりなかったけど…もう無理……」 !!!! これはマズった。決定打ではないにしろ、非常に心証が悪い。ちらりと部長を確認する。部長はとても眉をひそめていた。こ、これはマズった! 「アタシ…知ってたけど……ずっと我慢…して………」 嗚咽交じりの千佳子の声がきちんと聞き取れなくなった辺りで、部長が 「ちょっと2人とも聞け」 と、一段低い声を出した。聞きなれない声に一瞬止まる俺と千佳子。あぁ、なんてことだ。 「ん〜」 なぜか部長が戸惑っているのは、自身の一声が想像以上の静寂を生んだからか? 「あのさ、聞け…っていうか、俺から2人に聞きたい。つーか、俺はこれが聞きたくて、今日2人を部屋に呼んだ。仲介するっていうのは、すまん、ついでだ」 俺も千佳子も、は?という顔。特に俺。これ以上何を聞くつもりだ?
「いいか?確認したいんだけど…」 そして部長は俺らに聞いた。 「【マコ】って…誰?」 そして俺らは部長に拍子抜け。 「何ですか急に。ていうか今更」 「いやホント、今更なんだけどさ…」 呆れる俺らに真面目な部長。ギャップ?違和感?奇妙な感覚。論点はそこじゃ、ないだろ? 「【マコ】なんて子、1年の中にいない。ていうか4年まで見てもいない。お前ら、誰のこと言ってんだ?何度聞いても、部内の人間だって話し方だけど…あだ名か?どの子のこと言ってる?」 あっけにとられる俺らに畳み掛ける部長。論点は、問題は… 「【マコ】は【マコ】ですよ」 口に出して言ったのが、俺自身か、千佳子かよく分からなかった。ただお互いが全く同じ返事を考えていたことだけは分かった。 「だからそれ、誰だよ。お前らの話聞いてると、ちょっと怖いんだよ。一応言っとくけどな…」
つづく。
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