『速読王サンの軌跡』



 近代北欧に、「速読選手権」なる競技が存在した。参加者数十人が一斉に同じ小説を読み、そのあらすじを最も早く、規定以上の適確さで書き上げた者が優勝という、読解力と文章力がものをいう異色の競技である。

 そして、その大会において、前回、前々回ともに優勝、今回史上初の三連覇を狙う男がいた。名をサンと言う。彼は画期的な速読法「斜め読み」を編み出し、持ち前の文学的才能もあって「最速」の名を欲しいままにしていた。「ライジング・サン」とはまさにこの男である。

 今大会、サン自身は元より観衆もまた、彼の勝利を確信していた。それほどまでに彼の速読における能力は、他を圧倒していたのだ。だが、いざ試合が開始された時、彼は、勝利の女神が彼に大きな試練を与えた事に気付いた。前大会でサンに次ぐ早さを披露した準優勝者であるドルクが、斜め読みのサンに対抗し、「直角読み」を編み出していたのである(言わずもがなだが、西洋の話なので、わが国と異なり文章は横書きである)。ページの中心をオノでかち割るが如く、首を縦に振り落とすその読み方は、その速度おいてサンの斜め読みを遥かに凌駕していた。しかし、観衆がどよめく中、サンはまだ余裕の表情をしていた。あんな読み方で、物語が掴めるわけがない。ドルクはきっと、規定以下と判断され書き直しを言い渡されるはずだ、と。しかし、この大会の為だけに全てを費やしてきたドルクの執念は、サンの余裕を一瞬にしてかき消した。サンが全体の三分の一を読み終えた頃にドルクが書き上げた一回目の原稿は、規定をほぼ完璧に満たしていた。ドルクの圧倒的な勝利である。人々はこぞってドルクを祭り上げ、世代交代を祝った。サンは一夜にして過去の人間となってしまった。そして、その大会を最後に、サンは人々の前から姿を消したのだった……。


 サンが姿を消してから十数年、「速読選手権」は大きく発展を遂げた。今やその人気は欧州全土に広がり、オリンピックと並ぶ国際競技となっていた。以前は比較的大きな広場で開かれていたが、やがて大規模な専用会場で行われるようになった。速読法自体も格段に進化し、いくつかの流派を形成するに至っていた。「直角読み」では、近所の子供達にすら敗れてしまうであろう。ページの四つ角部分だけを見つめる「角読み」、右ページの左端と、左ページの右端を同時に縦に読む「超直角読み」等々…しかし、速読が広まるにつれ、現在の読書のあり方を疑問視する人間も少数だが出てきた。そう言う者たちは「Slow Reader(読書が遅く、時代の波にも乗り遅れてしまった者)」とされ、あまり良い目では見られなかった。

 どれほど速読法が改善され、様々なつわものが出現しても、人々の視線は常にドルクにあった。そして、サンとの戦いから実に無敗という、歴代最強の速読王となった彼が、ついに今回、自らが究極と称す「クイックターン法」を実践投入すると宣言したのである。パラパラ漫画のようなページのめくり方を何度か繰り返すそれは、今までの速読の常識を逸した、まさに速読法の完成形であった。
 しかし、ドルクを周り囲む観衆の中に一人、他とは異った雰囲気で彼を見つめる男の姿があった。そう、サンである。彼はこの数年の間、全くの所在不明であった。ひたすら修行を続けてきたのか、それとも…。ともかく今日、彼は帰ってきた。

 競技が開始されるほんの数分前、ドルクは初めてサンと目が合った。一瞬躊躇するが、すぐにいつも通りの表情になる。そう、私は速読王。今更のこのこと出てきた男に負けるはずがないのだ…!


 号砲がなり、競技が開始された。今回の小説は「かぐや姫」。選手権が広まると同時に空前の読書ブームが起こり、欧州の小説は全て読み尽くされてしまったため、急遽極東から輸入された童話の一種である。若い娘が悲しげに月を見上げる姿が描かれた表紙は、読む者に少なからず、物語への興味を抱かせた。さっそく、参加者達は自分の持ち得る最速の読法でページをめくり始める。開始直後、ドルクの周りから聞き慣れない音がした。クイックターン法による、ページが今までにない速さでめくられる音である。同時に、観衆からドルクへと、速読を極めた事への賛美の拍手が贈られた。あと、ニ往復。そうすれば読解は完了し、あとはあらすじを書くだけ。見ろ、今回も私の勝ちだ。ドルクは勝利を確信し、不敵な笑みをこぼした。だがその瞬間、突然観衆がどよめいた。…なんだ?ちらりと周囲を確認するドルクの目に、信じられない光景が映し出された。



 サンが、既にあらすじを書き始めている!



 一体どう言う読法を編み出したというのか?その姿を目の当たりにした全ての人間が困惑した。ドルクもまた内の一人であったが、すぐに姿勢を戻し、残り一往復をこなしにかかる。気にするな。私の力ならば逆転はまだ十分に可能だ。ドルクが再び集中し始めた時、ついに観衆の一人が叫んだ。



 私は見た!彼は、本にまったく目を通していない!



 どよめきは一層大きくなった。なぜそんなことが!?まさか読んだ事があるのでは!?審査員達は首を横に振る。あの本は極東の小さな島国から直接輸入したもので、欧州では今回が初めての公開となる。よってあり得ない、と。ならば、一体どんな手を?ざわめきは止まない。そんな中、ドルクがあらすじ作成にかかった。やはりクイックターン法は革新的だったのだろう、周りは、まだ物語を読んでいる真っ最中である。…サン以外は。
 焦るな、いける。私なら大丈夫だ!ドルクは平静を保ち続けた。手の震えを抑えながら、必死に書き続ける。脂汗が滝のように流れ落ちる。負けるはずがない、負けるはずが…。

 しかし。


 コトリ。

 静かに、ペンを置く音がした。


 一瞬にして周囲が静まりかえる。何枚もの原稿用紙を持ち、机から立ち上がるサン。いく人かの参加者は既に諦めたのか、その姿をじっと見つめていた。そして、審査員に用紙を提出した…。
 ゴドン!直後、激しくイスを蹴飛ばす音がした。ドルクもまたあらすじを書き終え、立ち上がったのだ。ズカズカと大きな足音を立てて歩き、サンの真後ろでピタリと止まった。審査待ちで他の人間の後ろに並んだのは、以前サンに敗れ準優勝となった、あの大会以来である。ドルクは全身を震わせていた。汗も止まらない。サンは静かに、目をつぶっている。これから起きる事象を全て見透かしているかのように。対して、ドルクの目は大きく見開かれたまま。気は確かなのか、それすらも危ぶまれそうな様子である。


 静寂が辺りを包む。数秒が数時間に、数分が数日にも感じられる。…そして、サンの原稿を読み終えた審査員が、ゆっくりと立ち上がり、こう言った。

 

 原作と、内容が極めて異なっている。規定以下だ。書き直しなさい。
 

 ……はい、わかりました。


 しかし、この話にはとても興味がある。君とはまた、後で話をしよう。


 ……ありがとうございます。

 

 サンは、観衆が叫んだ通り、渡された小説に全く目を通していなかった。表紙絵のみを見て、即興で独自の物語を創作したのである。無論、この大会においてそんな事は全くの無意味である。結局、優勝を手にしたのはドルクであった。

 しかし、大会終了後、サンは表彰の場でこう語った。
「速読と言う読書の形に疑問を抱いた人は幾人もいた。しかし、そう言った意見は全く取り入れられず、速読はどんどん一般化されていった。過去の私は過ちを犯した。読書とは、味わうものでなくてはならない。読書を競技化する事自体、間違っていたのだ。私は、小説との正しい付き合い方を示す為に、あのような行動に出たのだ。ただし物語自体は、本当に即興だ。それほどまでに、あの表紙は読み手に様々な印象を与えるものだった」
 この大会以降、速読選手権はその規模を急速に縮小し、やがて行われなくなった。しかし読書ブームは途絶える事はなく、各地で読書討論会のような催しが開かれた。それは、サンが口にした小説との正しい付き合い方を実践したものだったと言えよう。


 後日、サンが大会中に書き上げた小説は改めて清書され、権威ある審査員の計らいで早々に出版される次第となった。優れた創作童話であったそれは、大会の一件とは無関係な他国の人々にも受け入れられ、やがてわが国にも輸入された。内容があまりに異なっているため、それが「里帰り」だとは誰も思わなかったであろうが…。


 小さな自分の星に立ち、他の大きな星を少し寂しげな表情で見上げる、幼い少年。
 サン=テグジュペリ作「星の王子さま」は、今なお、世界中の人々に親しまれている。



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