彼女の家の場所は大体分かっていたので、よってどこで別れるかも大体決めていた。坂を下りきったところにある交差点を渡ってまっすぐ進み、公民館の左側のわき道に入り、路地を抜けてさらに下っていき、海岸線に沿った道路と合流するまさにその地点。僕は港に向かって右に曲がる。5分も歩けば家に着く。彼女は左へ。正確な位置は分からないけれど、おそらく僕よりも早く帰れるはずだ。
 実際のところ、僕にとってこのコースは遠回りだった。本来の通学路は公民館の右側の道路を進むもので、時間にして10分近くロスすることになる。3時半に学校を出て、4時前には到着するはずが、ともすれば4時10分を過ぎる、そのくらいの遠回りだ。その上、通常定められた通学路以外を通って登下校することは禁止されているので、校則違反にもつながる。これらの問題は全て、かつてまだ有頂天だった時代の僕が靴を履き替えながら格好つけて

 「せっかくだから海のところまで一緒に行くよ。」

 などと言い放ったことに原因があった。現在の受難を想定しきれずにただただ青かった過去の自分を悔やみつつも、だからと言ってコースを変更し公民館でさっさと別れるという決断は下せなかった。なんだか曖昧な自分がそこにいて、なぜ別れなかったのかと自分を責める一方で、なんとなく約束を守っている自分を誇らしくも思った。そこにはやはり一片の正義があったのだ。
 そうは言っても沈黙は続き、ちゃんと一緒に帰るんだと初志貫徹を目指したわりには、実はこの状況は相手をとても不快にさせているのではないかという申し訳なさがちょこまかと頭の端々を突いて回っていて、だけれど何か話をする勇気は持てなくて、心に抱えたパラドックスとそれによるストレスは限界を迎えていた。もうすぐ海。これをまっすぐ行ったら海。あそこを降りたら海。せめて彼女の視界から完全に外れるまでは、走り出さないようにしよう。左隣の実体としての彼女は、もういるようないないような。正直どちらでも良くなっていた。


 そして海岸線に出た。



 「…あのね。一緒に棒倒ししない?」



 オヨヨ?


 あまりの突拍子のなさに、すぐには声を出せなかった。それじゃぁこれで、と言う寸前だったこともあり、文字通り僕は息を飲んだ。僕は、棒倒しがどんなものかくらいは知っていたし、むしろこのあそびが好きで、さらに得意でもあった。もし、もし僕が棒倒しが何であるか知らなかったり、あるいは知っていてもあそびとして嫌いだったり、好きだとしても下手くそでとても初対面の相手の挑戦を受けて立てるような腕前でなかったりしたならば、絶対に断っていたと思う。間違いなく、断っていたと思う。

 「うん、いいよ。」

 しかして僕は承諾してしまったのだ。


 浜辺に下りて、手近な木の棒を探す。海岸と言っても綺麗な海水浴場ではなくて、すぐ近くに漁港のある、少し汚れた浜辺だったので、棒を見つけるのには何一つ苦労しなかった。テトラポットにランドセルを置いて、棒倒しを始める。彼女は少し袖をまくった。僕は半袖だったので、そのまま砂をかき集める作業に入った。赤白帽くらいの小さな山を作り、棒を頂上から突き刺す。

 「じゃいけん。」 「ジャンケン。」

 砂山を崩す順番を決めようとしたとき、僕と彼女の声が重なった。正式には「ジャンケン」と言うことは知っていたけれど、僕の住む地域ではなぜだか「じゃいけん」と発音していた。彼女は「ジャンケン」と正しく言った。

 「ほい。」「ポン。」

 そのまま流れで最後まで言い終わった後で、彼女は発音の違いにはっきり気付いたらしく、なんだか戸惑っているようだった。

 「僕らはじゃいけんほいって言うよ。」
 「ふぅん。」

 あまりに素直な「ふぅん。」を聞いて、今度は僕が戸惑ってしまった。それは、初めて見る彼女の態度だったからでもあり、初めて人に文化の違いを説明した体験のなんとなしの気恥ずかしさからでもあったと思う。ジャンケンに勝ったのは僕で、気持ち控えめに砂を削り取った。
 そして、棒倒し勝負自体にも、僕が勝った。

 「じゃいけんほい。」「ジャンケンほい。」

 何のコンタクトもなしに、2人とも砂を集めて、もう一度棒倒しを始めた。別に特別な理由があるわけではなく、ただ棒倒しというあそびがたったの1回で終わるようなものではないからだと思う。どちらかと言えば、一方あるいは誰かが飽きるまで、ずっと続けるものだろう。

 「あっ。」

 2回目も僕が勝った。さっきよりも一回り大きな山を作って、先行は彼女だった。

 「…。」

 3回目も僕が勝った。2回目よりも幅が狭く、背の高い山を作って、先行は彼女だった。僕は棒倒しが得意だ。だから、彼女がこのあそびを上手でないことは、3回もやれば十分に理解していた。それはもう、アドバイスすらできるほどに。

 「最初の一回目は一番安全なんだから、思いっきり取った方がいいよ。」
 「そうなんだ。」

 あまり勝ち過ぎるのも悪い気がして、次はわざと負けようかと思った。けれど僕はそうしなかった。その判断はとても不思議だった。仲の良い友だちとあそぶときでさえ、たまには遠慮して勝ちを譲ることがある。なのに、どうしてそうしないのか、自分でもはっきりとは分からなかった。ストレスを発散させたい欲求が上回っていたのかもしれないし、相手の真剣さを肌で感じとったのかもしれない。僕は棒倒しが得意なのだ。

 「じゃいけんほい。」「ジャンケンほい。」

 学校を出たのが3時半。普段よりもかなりゆっくり歩いたので、海岸線に着くころにはもう4時を回っていたかもしれない。心の中では全力で走り抜けたいとずっと思っていて、その気持ちが溢れて途中自然と早歩きにもなったけれど、彼女の歩みが一定してスローペースだったため、それに合わせざるを得なかった。徐々に徐々に、太陽が寝床に向かいつつあるのが分かった。

 「じゃいけんほい。」「じゃいけんほい。」

 10回目くらいで、ついに僕は負けてしまった。そのころには僕はすっかり落ち着いてしまっていて、一刻も早く場を立ち去りたい気持ちはなく、かと言って我を忘れるほど棒倒しに熱中しているわけでもなく、居心地がいいようで悪いような今までにない空気に浸る自分を客観的に見て、一体僕は何をしてるんだろう、と冷静にツッコミの入れられる精神状態にあった。いつでも機を見て、そろそろ帰ろうよ、と言うことはできた。けれど、結局そのことを口に出せないまま11回目に突入し、ネタのつきた山の形に試行錯誤し、時折綺麗に「じゃいけんほい。」がハモることに何となく違和感を覚え、4回に一度くらいの割合で負けるようになり、木の棒でなく大きめの貝殻を使ってみたりし、だんだん大きくなっていく波の音に耳を傾けながら、本格的に陽が沈むまで延々と棒倒しを続けた。


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